2012年 サウスジョージア Valdosta での Manufactures Cup
ZX14R 2012年モデルで参戦。

 

決勝戦:1週間前に'03年NHRAシリーズチャンピオンを決めたばかりのGenoと対戦!!

Muzzy KawasakiもPRO STOCKクラスにエントリー。


02年10月 AMA PROSTAR で初のPRO STOCK bikeクラス出場。今までいろんなクラスは出たけどPSBはバイクの価格が高いから避けてきたんだ。でもKawasakiのPSBに乗れるっていうので乗って見ることに。
RAZOR AMA PROSTAR
またPROSTARも行きたいですね。
ZX11 bodyでZのエンジンを積むDRAG bike NMRAのレース風景。
よく参戦しているNHRA/PROSTARのローカルレース。ここで色々勉強させてもらっています。
GSXR DRAG BIKE with NITROS
一時Nitrosを付けてPRO/MOD WESTという団体に参加していました。Nitrosはすごいですね。

僕にとってのDRAG初体験はいきなりアメリカのローカルコースで始まった。当時日本でやっとDRAG RACEらしき物が始まっていて、しかし僕らは参加選手のサポートをしていた。しかしやればやるほど疑問点が出てきて、一体これは何なのか?これはどうするのがベスト?そした疑問は誰も的確に答えられず、全くの手探り状態だった。

そんな中、このままでは解決に時間がかかりすぎる。ただでさえ普段テストができない環境。ここは一発アメリカに行ってみるってのはどうだ?というが事のおこり。

聞けばコースやバイクをレンタルする都合上、一人でも二人でも同じ金額。そこで一緒に行った自分が半分片棒を担ぐ事に。教えてくれるアメリカ人は、DRAG RACE用フレームを作る仕事をしながら自らも十代の時よりレースに出ているという。環境が違うね。少なくても自分たちの同年代で十代では日本に本格的DRAG RACEはまだ上陸しておらず、従ってやっていた人間など全くいなかった訳で。

そんな中始めた自分ですが、最初はびびったね。(今でもだけどね)この短い競技の間に何ていろいろやらなければいけないんだ、ドラマがあるんだ!って。ここで言っておきたいのは最初に乗ったのは本格的DRAG BIKEで、ストリートバイクではなかったんだ。入門的モデルではあるけど、1200cc、DRAG用に改造されたフレーム、ウイリーバー、DRAGスリックタイヤ、、、。これがストリートバイクからなら今でも言っているんだけど、誰でも始める事はできる、本当に身近な遊びなんだ。しかしDRAGバイクとなると、、。

そこで病みつきになった自分は今でもやっているって訳です。今ではAMA PROSTAR のプロストッククラス何かにも出ているけど、その間、ローカル団体は相当でた。

NMRA,PROMOD WEST、AMA PROSTAR WEST。バイクもPRO GAS、SUPER COMP、PRO MODIFY、PROSTOCK、RAZOR、それで日本ではX4。

何が楽しいって?いろいろ楽しさはあるけど大げさに言えば、”生きてる!“って感じられる事かな?だんだん迫り来る出走順。みんな順番が迫るとおもむろにツナギを着てヘルメットを被ってそれまで冗談を言っていたりした笑い声は嘘のように無くなって、在る者は神に祈り、在る者は家族としばしの別れを告げる。コントロールタワーゲートをくぐるとそこは大観衆が見つめるスタートエリア。日本人なんてどこにもいない。ここからはもう一人だ。クルーは手は貸してくれても乗るのは自分自身だ、クルーの気持ちや思いも載せて。バーンナウトエリアでバイクをとめると目の前にはどこまでも続くコースが広がる。自分とバイクの対話が始まる。クルーがエンジンをかける。爆音の為完全に自分とバイクとの世界になる。エンジンは大丈夫か?調子はどうだ?

ステージングの後スタートを切る。そこはあまりに強烈な加速Gの為、夢なのか、本当の事なのか?夢中でフニッシュラインにとび込む。スクリーン越しに目える世界はおよそ290キロを超えた世界。減速するエンジンを切る。急に目の前が明るくなって静寂が訪れる。その瞬間、我に帰る、自分は生きてる!って。夢中に走っているときは恐怖も焦りもない。ただ一点少しでも速く相手よりフニッシュすること、1キロでも多く出る事を祈りながら。でもエンジンが止まると、まるで置いて来た魂が追いついたように我に帰り、自分が生きてる事を実感する。この瞬間がものすごく充実感があって、それを味わいたいために走る前の緊張感を克服すると言ってもいいくらい。

できればその充実感をこれからも味わい続けたいですね。